まずはここから

夏樹静子著「心療内科を訪ねて−心が痛み、心が治す−」。
一度目に読み通した時は、全編を通して伝えられる「自分の病気は自分に責任がある」という考えに衝撃を受け、反発する気持ちと納得する気持ちの狭間で苦しみながら読みきった。
ニ度目は、少し冷静になれて、著者や著者が引用した医者が本当に訴えたいことを自分なりに考えることができた。この本が伝えたいことは、自分の病気は自分に責任があるとしても、「だから自分を完全否定するべきだ」ということでも、「だから自分が変わらなければ決して苦しみから解放されることはない」ということでもないと思う。自分の性格や生き方や考え方には偏ったところがあるということに気がつき、それを認める。それが大切。この本からはそういうメッセージを受け取った。
もちろん、その次の段階では、自分自身で改善努力をしていくことも大切だ。そして、その結果、自分を改善することができれば一番素晴らしい。でも、これまでずっと一緒に生きてきた「自分」を変えることはそれほど簡単ではないはずだ。努力をする前に言うべきことではないけれど、私も、正直なところ、自分が変われる自信がない。そんな弱気な私に勇気を与えてくれたのは、著者のこの文章。

私は、幸運にも完治して以来、真面目に反省して、自分を改善しようと努力してきた。心がけ一つでなんとでもなると、甘く見ていた節もあった。
だが、およそ性格を変えるということほど、至難のことがあろうか。七年経った今では、痛切にそれを悟らされている。だからこそ、芥川龍之介も「悲劇は性格にあり」といったのだろう。
もしかしたら私はほとんどもとの木阿弥になりつつあるのかもしれない。しかしながら、一度は「気付いた」という事実に変わりはない。その気付きが、自分の内部で何か名状しがたい働きをしてくれていることを、はっきりと感じる時がある。やはり私はどこかで変わっていたのだ。

まず自分の否を認めることから始めようと思う。ずるいかもしれないけれど、その次の段階の改善努力の部分は、ひとまず横に置いて、まずは自分自身の凝り固まった頭の中、心の中をじっくり見つめてみる。そうすることで、無理をして自分で自分の首を絞めていることが分かっていくような気がする。そして、そこまで辿り着ければ、後は自分を楽にしていくことが、結果として自分を変えていくことに繋がるような気がするのだ。

心療内科を訪ねて―心が痛み、心が治す (新潮文庫)

心療内科を訪ねて―心が痛み、心が治す (新潮文庫)