私という人間

同じ職場で働いていた人が亡くなりました。女性は涙を流し、男性も沈んでいます。私も、昨日まで普通におしゃべりしていたので、突然の出来事に衝撃を受けました。でも、もっと衝撃的だったのは、私が、周りのみんなと違って、いつもどおりの気持ちで過ごしていたことです。自分は、心の冷たい、情の無い人間だと強く感じました。そのことに落ち込んではいないけど、なんでなんだろうと思うんです。
人を、嫌い・やや嫌い・普通・やや好き・好き、と乱暴にくくってみるとしたら、私にとって大切なのは「好き」な人だけなんだと思います。多分、それ以外の人には関心がないんです。狭い世界。だから、今回の訃報に対しても、びっくりはしたものの、悲しみを感じることがなかったんだと思います。悲しむよりも、みんなの様子を見て、あんなに「嫌い嫌い」と言っていたのに泣いている人を不思議に思ったり、今後どうなるんだろう、お葬式には行くのかな、喪服無いよ、なんていうことをぼーっと考えていました。小さい子供が事の重大さをわからずに、「人の死」に単なる好奇心を持つことがありますが、そんな感じもあります。それが、大人だから、たちが悪い。軽蔑されても当然ですね。なんで、私はこんなひどい人間なんだろうと、今日は故人のことよりも、自分のことを考えて過ごしていました。