発症から入院までの記録

7月28日
夜、ドライヤーで髪を乾かしていたか、食器を洗っていたか、記憶が定かではないが、突然左胸に激痛が起こる。
筋を違えてしまったのかと思い、寝れば治ると考え、イタイイタイと家族に向かって大騒ぎしながらも、9時に自室に向かい就寝。
しかし、一晩中、身体の左側が痛く、右側を下にしないと眠れない。


7月29日
期待を裏切り、朝起きても、胸痛はそのまま。潰瘍性大腸炎の治療のレミケードのせいで、結核が発症したのかと思い、ネットで、心膜炎や胸膜炎を調べる。
明日は朝一番に、潰瘍性大腸炎のレミケードを受ける予定で診察の予約が入っているので、今日はひとまず会社へ行き、1日耐えることにする。
しかし、仕事中も胸やら肩やら胃の辺り(後で心臓であることがわかる)が痛み、かなり苦しむ。


7月30日
相変わらず痛い。でも、東京のはじっこから、赤坂の病院まで頑張って行く。
前日に先生にメールで胸の話をしていたので、レミケード前にレントゲン撮影。見事に左肺が気胸になっているとのこと。しかも、前回なった6年ほど前の時よりも、肺がしぼんでいる。6年前は、鎖骨ラインまでしかしぼんでおらず、自然治癒という方法を取ったが、自然治癒作戦が無理そうな感じを受ける。
しかし、その割りに、酸素飽和度は99(最高100)。息苦しさは確かにあまりない。というわけで、レミケードは予定通り決行されることになり、2時間点滴につながれる。関係ないけど、毎回、酸素飽和度という言葉が先生や看護師さんの口から発せられると、「酸素forward」と聞こえてしまう。「酸素、その先へ」。なんだかかっこいい。ドラマのタイトルみたい。
点滴の間、先生に、前回気胸になった際に通院した病院へ連絡を取ってもらい、特別に時間外でも診てもらえることになる。
その病院の場所は神奈川県相模原市....。肺に穴が開いた状態で1か月分の潰瘍性大腸炎の薬と傘とバッグとレントゲン写真を持って、ひとまず最寄り駅へ向かう。左手で物を持てない状況なので、全部右手で持つ。右手ちぎれそう。最寄り駅に母に迎えに来てもらい、そのまま次の病院へ。
病院へ到着し、約6年ぶりに呼吸器外科へ。診察室へ入るとまず驚かれる。患者は男性だと思っていたらしい。確かに自然気胸は、20代の痩せ型長身男性がなりやすい病気だから。女性の場合は、月経随伴性気胸という珍しい病気があるのだが、私の場合、月経随伴性気胸なのか、それとも179cmの長身ゆえの自然気胸なのだか、判断が難しい(後に体型ゆえの自然気胸であることがわかる)。
持参したレントゲンを見て、漏れた空気を外に出すために、肺にドレーンという管を挿入し、入院するようすすめられ、驚く。そしてごねてみる。しかし、入院せずに様子を見ても改善が見られなければ、結局入院することになるため、今月末の退職と来月頭からの新職場を考えると、最短で治したい。迷っていたら、再度レントゲンを撮って、朝9時と現在15時の状況を確認することを提案される。
レントゲンの結果、悪化していることが判明。朝よりも肺がつぶれ、そのつぶれた肺に心臓が圧迫されて、心臓がちょっと変な形になっている。入院に同意する。人間、心臓を持ち出されると弱いことがわかった。
そのまま、すぐ隣の部屋でわき腹からドレーンを挿入。麻酔の注射が少し痛い。そして、あばら骨をかいくぐって挿入するので、なんだかゴリゴリされて、その圧力も少し痛い。あと、なぜか麻酔をしてない部分にも縫合されたので、チクっと痛い。なぜ、そこも最初に麻酔しておかないのかつっこみたかった。
ドレーンを入れる時よりも、入れた後の方がしばらく痛い。左手は上に上げられないし、ドレーンの体内の角度によって、神経に響くのか、痛い体勢、痛くない体勢が、日々違う。潰瘍性大腸炎で入院したときのIVHみたいなものかと思っていたが、甘かった。
ドレーン挿入後、車椅子でレントゲン室を経由して病室へ。贅沢にも個室を選択。潰瘍性大腸炎患者はマイトイレがないとやはり不安。個室はABCと3ランクあったが、Bしか空いてなかったため、シャワー&トイレつきの部屋になってしまう。退職金は今回の入院費にまるごともっていかれてもいい覚悟。
母には家と病院を往復してもらい、荷物を持ってきてもらう。病弱な娘で本当に申し訳ない気持ちになる。なさけなくなる。