入院14日目から入院15日目(退院日)までの記録

8月12日
深夜0時過ぎ、痛みがひどくて、どうしようもない。そんな中、トイレに行きたくなったので、激痛の中、一生懸命ベッドに起き上がり、立ち上がる。一瞬、ふらふらと気持ち悪い感じがしたが、今晩の看護師さんは男性なので、トイレの手伝いはして欲しくない。気のせいだということにして、痛みをこらえてトイレを済ます。
しかし、やはり気のせいではなかった。トイレを出た時点で、吐き気と痛みが最高潮に達し、ナースコールを押す。
男性看護師さんが来てくれ、血圧を測ると、下が40。血圧が下がりすぎたのが、気持ち悪くなった原因のよう。確かに、ベッドに座っていると徐々に収まっていった。低血圧ごときで呼んでしまったことを、少し恥ずかしく思う。
しかし、痛みの方はいつまでたっても収まる気配がないので、入院して初めて、痛み止めを求める。もし、この痛み止めで潰瘍性大腸炎が悪化してもしょうがないと思うほどの痛みだったから。
痛み止めは点滴で入れられた。薬の名前を確認しようと思ったが、その気力が無く、痛み止めが効き始める30分間、一番痛みがマシになる姿勢である座った状態で固まり続ける。そうして、ようやく、30分後に横になる。薬のおかげで、背中をベッドにどうにかつけられるくらいまで痛みが弱まった。
朝、痛み止めが切れたようで、やはりどこもかしこも痛い。そして、血圧が相変わらず低くふらつく。30分かけて、電動式ベッドの上半身部分を少しずつ立てていき、ベッドに起き上がる。そして、さらに30分かけて体勢を少しずつ動かし、立ち上がってトイレへ。これこそスローライフ
7時半、朝食。ブドウ糖の点滴を外したいがために、食べる。もともと食いしん坊でよかった。食が細い人だと無理だと思う。咀嚼するだけで肺やら背中やらが痛い。食いしん坊バンザイとはこのことだ。おかげで、この後、すぐに腕の点滴が外される。
10時頃、レントゲン室へ行くように指示が出る。この痛い身体で自力で行くのかと驚き、思わず「え?」と看護師さんに返してしまったら、「車椅子で行く?」と聞かれる。しかし、よく考えると、今の背中や肺の痛みは、車椅子に乗ると、段差などで激しく響くような痛みだ。自分で亀のように歩いて行く方が痛くない可能性が高い。しかも、動いた方が早く回復すると先生は言っている。ほんの一瞬で思案した結果、自分で行くことを選択した。
レントゲン室に向かって、のそのそ進んで行く姿を目撃した先生に、「偉い偉い」と褒められる。知ってる。私が偉いのは知ってる。
11時頃、両親が来る。いろいろ手術のあれこれをしゃべりたいのに、声を出すと痛いので、ほぼ黙っている。
昼食の時間。まさかのパン食。入院してから、おなかの調子を整えるべく、ずっとお米を食べてきていたのに、ビーフシチューとバナナとパン。しょうがないので、ビーフシチューとバナナは母に食べてもらい、マーガリンとブルーベリージャム付きのパンは父に食べてもらう。私は父が自分用に買ってきていたおにぎりを食べる。
13時半頃、検温に来た看護師さんに、父が「背中が痛くてどこにも寄りかかれないし、横にもなれないんです。痛み止めとかどうにかなりませんかね?」と私をさしおいて、勝手に横から口出しする。私としては、日中はとにかく痛みをこらえて、ベッドに前かがみの姿勢で座り続け、夜だけ痛み止めを打ってもらおうと思っていたのに。多分、あまりにかわいそうで見てられなかったのだろう。だったら帰ればいいのにと思うが、心配で帰ることもできないのだ。
しかし、実は父のこの一言で事態が大きく変わる。なんと、看護師さんが先生に連絡を取った結果、ドレーンを抜きましょうという展開になったのだ。朝のレントゲン結果がよかったからということだが、通常ならば、手術の翌日はドレーンを止めた状態(クランプと呼ぶらしい)のまま過ごし、翌々日のレントゲンに問題が無ければ、ようやくドレーンを抜く流れになる。私はまだドレーンのクランプもしていないのに、1日早いドレーン抜きだ。大胆。
その後、先生がすぐ部屋に来る。「本当なら明日抜くんだけど、そこまで痛いのはかわいそうだから、抜いちゃおう」と言う。「かわいそう」で抜いていいんだと、おかしくなる。
抜くのは病室で行われる。「麻酔しますよね?」と聞くと、「普通はしないけど、したい?麻酔の注射の方が痛いかもっていうくらいだよ」と言われる。注射の痛さは、何度も刺されてきた、潰瘍性大腸炎の白血球除去療法の太い針のおかげで、得意。麻酔をお願いする。思ったとおり、やはり麻酔の注射は余裕。そして、その麻酔のおかげで、ドレーンを抜くときの痛みも、「もう、終わりですか?」というくらいの感覚。
ドレーンとさよならした途端、背もたれに寄りかかれるようになる。横になって、ベッドに背中をつけることもできる。幸せだ。父がお節介をはたらいてくれて、本当によかった。ありがとう。「言ってみるもんだね」と父と2人で笑いあう。
昼食後に一旦帰宅していた母が、再び病院へ来ると。私の身体が、ドレーンからもチェスト・ドレーン・バッグからもサーボドレイン2000からも自由になっていて、驚く。こうなったいきさつを話すとさらに驚く。


8月13日
朝一番に、先生が部屋にやって来て、「今日のレントゲンで肺に問題がなければ、いつでも退院できるけど、どうする?」と聞かれる。どうもこうも無い。「今日退院できるのなら、今日退院したいです!」と即答する。
朝8時半に、レントゲン撮影。自分の部屋で結果を待っていると、先生が来て、無事肺は問題ないとのこと。こんな感じで、あっという間に、退院が決定。ちょうど父が夏休み期間中で家に居たので、即行電話をかけて、迎えに来てもらう。
30分後、父が到着。先生には会えなかったが、ナースステーションで看護師さんに挨拶して、会計窓口で支払いをして、外へ出る。約半月ぶりの外の日差し。まぶしい。暑い。でも解放感でいっぱいになる。

以上が、今回の入院の記録。

ちなみに、恐怖の入院費用は以下の通り。もしも右肺の気胸が起こったら、再度このくらいかかることを覚悟しておこう。

全額:¥290,800
この中には、診断書(会社用)¥3,000、診断書(保険会社用)¥7,000、個室代¥126,000が含まれている。
書類も必要なく、個室を選ぶという贅沢をしなければ、¥154,800程度で済んだということが分かる。
また¥290,800の中の手術費用は¥71,928。
今回、父が知り合いに頼まれて、私が無理やり入らされた一番安い掛け金の保険のおかげで、¥85,500が入ってくる。また、15日以上の入院だと、会社から¥10,000がいただける。
つまり、最終的には¥195,300となった。